マイペースで自然体。気取らない独特の雰囲気が魅力のミュージシャン・奥田民生さん。バンドや弾き語り、楽曲提供にコラボレーション。自身のYouTubeチャンネルではオリジナリティあふれる音作りを披露するなど、活動スタイルは常にバラエティに富んでいる。コロナ禍においても精力的に音楽活動を続ける原動力、そして現代の若者への思いなど話を聞いた。
01
失敗があっても失敗とは思わない。常に柔軟性を持っていたい
――新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、音楽業界もライブやフェスの中止、延期などが続きました。コロナ禍において、特に変化を感じている部分はありますか。
ライブ自体は変化というか「静かに観てくださいね」という状況が当たり前になってきた中で、お客さんが静かにしている雰囲気にも慣れてきました。レコーディングを少人数でやったりもしていますが、制作活動に関して考えれば、やり方はいくらでもある。もともと一つの制作の在り方に固執してきたタイプではないですし、そういう意味でも変化に慣れていた部分はあったのかもしれません。なので、そこまで大きな変化は感じませんでした。現状維持という感じで、スタンスも変わってないですね。
――音作りの風景を公開するなど、YouTubeを使った積極的な活動も最近は話題になっています。
YouTubeはコロナ禍になる前に始めたものですが、当時、大手のレコード会社から自主レーベルを立ち上げたタイミングでした。YouTubeのように制作したものをすぐに見てもらえるようなツールがあるのに、大手だと公開まで時間がかかる。こんな時代に時間がかかっていたらダメだろうと、新しいレーベルの発足とともに始めてみたんです。制作後すぐに公開できる、そのスピード感というのはYouTubeの良さだと思いますね。自分も単純にやっていて楽しいですし。
――YouTubeをはじめ、今はインターネットがあれば何でも情報が手に入る時代でもあります。情報の取り入れ方も、奥田さんがデビューした当時とは全く違いますね。
そうですね。僕らの若い頃は、例えば「ヴァン・ヘイレンがどうやって弾いているんだろう」とか、知りたいことがあっても実際に教えてくれるツールなんて全くなかった。今はそれを説明してくれる人やツールがインターネットの世界に溢れているわけじゃないですか。楽器を始める人にしたら恵まれているなあと思いますよね。
僕らのときは聞いて勝手に想像して、勝手に違うことをやって、いつのまにか自分のスキルになったりならなかったり、その繰り返し。一概にどちらが良いとは言えないですけど、勝手にアレンジしていたときの方が個性が出やすかったように思います。今は「これです!」と既にある答えを先に出されてしまうから、みんなが同じ方向に向かう可能性も高い。オリジナルへの昇華の仕方が難しい時代なのかなと思います。あとは、録音機材もいいものが多いから、プロとアマチュアのレベルの差がなくなっているとも感じますね。
――奥田さんがもしデビューする時期を選べるとしたら、今の時代は選ばないですか。
いや、どうかな。便利なものは選ぶと思いますよ(笑)。でも、デビューするなら人と違う部分がないといけないから、そこをすごく考えないと今は難しいですよね。想像力を働かす前にいろいろ分かっちゃうじゃないですか、今の時代って。そういう点を考えると、昔の方が夢があったのかなと思いますね。
02
便利なものを面白がることができれば、それが個性になる
――音楽活動と向き合うなかで、ずっと変わらず持ち続けているスタンスやルーティンがあれば教えてください。
曲を作って演奏すること、くらいですね(笑)。やっぱり演奏しているときは楽しいけど、作ること自体は変わらずしんどい。そのモチベーションをどう上げていくか、みたいな部分は変わっていないですね。音楽を好きになった根本は、それを自分もやってみたいという思いがあったから。ビートルズを聞いて、ビートルズみたいな曲を自分でも作ってみたい、演奏してみたいというところから始まったわけです。今も憧れるものを真似していたいという感覚を持ち続けています。誰にも出来ない自分だけのものを作りたい、という思いは初めからありません。音楽は、聞いた誰かが感じ取ってくれたものが全てだと思っているので、「ビートルズみたいじゃん」と言われればそれが全て。それでいいんです(笑)。
そういうスタンスで音楽づくりを続けてきたせいか、ルーティンというものも僕の中には存在しません。意識的に持たないようにしているんです。だって、それが守られなかったら失敗みたいになっちゃうのは嫌だから(笑)。なるべく決め事は作らずに、柔軟性を持ち続けていたいんですよね。だから当然、うまくいかないときもあります。「ちゃんと準備してこいよ!」と自分でも思うんですけど、直前にトラブルがあっても「ぜんぜん大丈夫。行ってきます」みたいな感じでやり通したい。それもあって、失敗があっても失敗とは思わないようになりました(笑)。成功でも失敗でもない、「どっちでもよかったよね」という感じが僕の性分に合っているのかもしれません。何よりそういうスタンスが楽だし、楽しくできますから。
――自由で肩肘張らないスタンスが奥田さんらしさのような気がします。
アーティストって、意外とそういう人の方が多いのかなと思います。作った曲がダサくても「ダサくない!」と言い張るみたいな(笑)。そこは責任持って言い切るくらいの勢いが必要なんですよ。1曲作ったら終わりじゃないですから、失敗とか成功とか、あんまりくよくよと考えても前には進めない。自分がどれだけ入魂しようが、評価するのは聞いた人ですからね。20代の頃はもう少し真面目さが備わっていたように思いますが、自分ももう50代後半ですし、年々と“楽しく楽ができる方向”に物事を考えるようになりました。
その楽しさがファンの方にも伝わるといいんですが。
――奥田さんのような歳の重ね方に憧れを感じる方も多いと思いますが、今の若者にはどういった思いを持っていらっしゃいますか。これからを生きる彼らに向けてエールをお願いします。
今はいろんな情報が入ってくるとはいえ、やっぱり若いときというのは知らないことが多いと思うんです。自分もそうでしたけど、理解していないというか。それに怖さもないから、やりたいことを思う存分できるでしょ?そういう部分は、今も昔も一緒なのかなと。情報がたくさんある分、そういう便利なものをうまく面白がってほしいと思いますね。昔だったら、一部の人しか出来なかったようなすごいことが簡単に出来るようになった。だからこそ、試行錯誤して経験を重ねて、自分自身で個性を作っていけたらいいのかなと思います。まあ、自分も今になってだいぶ分かってきたこともあれば、相変わらずだなというところもありますけど。結果、自分で楽しめたならそれでいいんです(笑)。
ミュージシャン
奥田民生
TAMIO OKUDA
1965年生まれ。広島県出身。1987年、ロックバンド「UNICORN」のボーカリストとしてデビュー。「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」など、数々のヒット曲を世に送り出す。1994年にシングル『愛のために』でソロ活動を本格的にスタート。『イージュー★ライダー』『さすらい』などヒットを飛ばし、井上陽水とのコラボレーションのほか、プロデューサーとしてもPUFFY、木村カエラを手掛けるなど活動は多岐に渡る。2015年、自主レーベル「ラーメンカレーミュージックレコード」設立を発表。2022年3月には シングル「太陽が見ている」をリリース。
TEXT BY Mitsue Yoshida PHOTOGRAPHS BY Shogo Sato DIRECTION BY Mariko Ooyama
※本稿は2022年3月掲載時点の情報となります。